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読み始めたころは、いまひとつピンと来なかった。「一日の命、万金よりも重し」、「利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」教訓カレンダーを読んでいるみたいだった。
しかし、嵐山さんの明快な解説のおかげで、目からウロコが少しずつ落ちていった。例えば、「今で言うと、寺院は大学だから、法師は教授であり、学問を学ぶと同時に人にものを教え、道を説いたりする人だった」というひと言で、この世界が身近になった。さらに、嵐山さんの体験を重ねて語ってくれるので、700年前の言葉が活(い)き活きと立ち上がってくるのだった。
まず、名人を語る含蓄のある言葉が琴線に触れてきた。「勝たんと打つべからず、負けじと打つべきなり」(双六)、「よき細工は、少しにぶき刀つかふといふ」(細工師)
兼好法師は、世捨て人になりたいと思いながら、現実社会への未練を捨てきれなかった人のようだ。だから、ものを見るときにも、一面から見る危険を知っていたという。こういう、一筋縄ではいかない、したたかな人物だったので、シンプルな言葉の裏には別の意味が隠されていることもあるようだ。例えば、「大欲は無欲に似たり」という言葉。ここには、財をなすことを否定しながら蓄財に興味を持ったという兼好の奥深さが投影されているという。
嵐山さんは大学受験で失敗したときや、30代で会社を辞めて苦労したときに「徒然草」を読み、そのたびに発見があったという。たしかに、兼好が見つめていた無常、死と隣り合わせであるという認識を理解するには、それなりの人生経験が必要だろう。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」、人生の盛りを過ぎたぼくとしては、「徒然草」をじっくり読み、この無常の世の趣をしみじみと味わえる境地にたどり着きたいと願っている。
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